歴史の呼び名

学校で教える内容の基準を示す「学習指導要領」の改定で、「聖徳太子」や「鎖国」などの歴史用語がかわるかも?というニュースが出ましたが、現場からの混乱を踏まえて元に戻るようです。聖徳太子という呼び名は、実は、死後100年経過してから名づけられたと書物にあらわれています。本名は「厩戸」(うまやど)。業績とされる「冠位十二階」「十七条の憲法」「遣隋使派遣」は、聖徳太子は主導していないという見方が主流です。昔から聖徳太子を仏教の成人とあがめる信仰が根付いており、用語をかえにくいのかもしれません。

また、江戸時代の「鎖国」も17世紀末に日本に滞在していたドイツ人医師が外国に対する閉鎖的な政策について書き、それを日本の学者が1801年に訳した言葉が「鎖国」当時の学者以外は分からない用語です。そもそも長崎、対馬、松前、琉球では海外交易が行われていました。また、中国や朝鮮でも、国民を海外に出さない政策をとっていました。「対外政策」や「海禁政策」という言葉が適切でしょう。

 

朝日小学生新聞 4月9日 より

 

私が勉強していた当時と比べると、最新の研究で新しい歴史の事実が分かり、時代の変化を感じますね。